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2007年07月01日

学級を救うのは・・・息を合わせる取り組み

チョット、大胆な私見です。

今、学級がたいへんな状態であるところは、・・・・ひょっとしたらあるかも知れません。
どうすればよりよい方向に行くのかを考える必要があります。
1.2.は、大事です。どこでも述べられています。
3の事についてあまり指摘する声が少ないように・・・私は、思っているのです。

1.物的環境を整える。
 このことについては、以前に書いています。
 私の教室の廊下にかけてあるぞうきんは、すべてきちんとそろってかけられています。
 ・・・・・・一つ一つに、洗濯ばさみがつけられています。
      ぞうきんは、真ん中で折られて、きちんと整ってかけられています。
 教室の机は、整頓されて常にならんでいます。
 ・・・・・・・教室の床に、メジャーで測り、机の足のカドをあわせる印を書いています。
      そうじが終わると、机の角がそろうので、教室全体の机がきちんと整っています。
 作品は、押しピンで留められています。
・・・・・・・・・きちんと、止められた状態です。
 ゴミは、ありません。
 ・・・・・・・ないというのが正しいのでなく、気がつけば、すぐに拾いますし、拾わせます。

 黒板には、カーテンがあり、給食の際は、カーテンで黒板をとじます。

 ⇒雑然と強いた教室の感じをなくしているつもりです。
  まずは、物的環境を教師が整えることをしなくては、なりません。

2.人的環境を整える
 ここがおおきいと思います。主なことは、教師のあり方の問題です。
 教育雑誌であるとか、いろんなところでいろんな指摘が有ります。

 私は、マズローのいう「自己実現」を支援する、「自己実現に致る、欲求を満たす」教師のあり方
 が大事と思っています。

3.関係性のありかた
 今、考えるべき視点は、この関係性の事だと思います。
 相手と、関係を持つと言うことは、「息を合わせること」と言い換えてもいいと思います。2人の関係でも、集団との関係でもです。今、関係がうまく取れない状態で、困っていると思います。 
 
もう一度言います。
一つだけあげると・・・その他のことは、どうなのかと・・・指摘されますが・・・
 今、一番教師が困っていることは、・・・
 『息を合わせること』でないかと、思っています。

子ども達は、人間関係を築くこと、いわゆる、2人の関係の取り方がぎこちなくなっていることも指摘されます。とすれば、集団として「息を合わせること」は、さらにぎこちなくなっているのではないでしょうか。

 学級は、集団として、成立していなければ、・・・たいへんになります。
 マカレンコなどを言い出すと・・・受け入れられないでしょうから・・・
 少なくとも、「ゆるやかな集団」と、学級がなっていなければ、・・・集団としての機能は、働きません。

 集団として動かないというのは、すなわち、バラバラと言うことです。
 その集団のもとになるのは、・・・息を合わせることだと、私は言いたいのです。
 
 例えば、・・・
 「名文を読む」なども、はやりの教育です。
 名文そのものにも、値打ちがありますが、
 それを群読することが、たいへん値打ちある教育と、思うのです。

 本をしっかり大きな声で読むと、息をしっかり吸わなくてはなりません。
 当然息をすうところが、句読点であり、同じになってきます。
 カラダ全体を使い、みんなで「息を合わせる」練習をしているのです。

 わたしたちも、今、教室で、取り組んでいることについて
 「息を合わせる」という視点から、再度見直してみると、いいと思っています。

 朝の会での、リコーダーも、まったくその通りで、息を合わせる練習になります。
息を使い音を出しているのですから。 
 みんなで詩を読むこともです。

今、私の教室で、毎日15分間百人一首をしています。私は、これも、息を合わす練習になっていると思っています。うまくなってくると・・・いらない話は、なくなり、緊張と緩和が交互に出てきます。集団全員が息をのみ、静かになります。
 だから、これも息を合わせることにつながっていると思います。

ペア本読みも、そう考えれば、息を合わす練習にもなっているように思います。
 2人組になり、一文ずつ本読みをします。まるで一人で読んでいるようにすらすらと読みましょうと言ってます。
 相手の読むのを聞き、読み終わると同時にこちらが読み始めます。
 そうしようとすれば、やはり、相手の読みにあわせてこちらの息を整える必要があります。


 教師の話も、こちらが、話し出したら子どもが静かにし、ある場面で話を切ると、緊張がほぐれ子どもの口が開き・・・、また教師が話し出すと、静かになる。この息を合わすことを意識しながら、聞いてもらえるように、教師の話をしなくてはと思います。
・・・教師が話すほど子どもがざわついていれば・・・其れが続くと、どうなるかは、見えています。

 授業の発問も、教師の話の延長です。
 教師が、話し出せば、静かにして、話し終わると、手を挙げて発表したり、ノートに書き出したりと、子どもの動きがでる。そして、誰かが発表し出せば、教師も他の子どもも息を潜めて、その発表に聞き入る。
 このような、学級の『息を合わせる』視点で考え、普段息を合わせる取り組みを大切にすることが・・・・たいへんな状況を救うことになるのでは・・・

蛇足として・・・
(我田引水ですが・・・・)
レクの、歌う・踊る・集団でゲームをするということが、どれをとっても「息を合わす」取り組みになります。
例えば、
  ・・・学級みんなで長縄の八の字とびに挑戦するのも・・・

 あんがい、レクリエーションの中で、楽しみながら「息を合わせる」練習ができるのではないでしょうか。みんなで楽しむことが、あんがい、学級を救うことにつながるのかも知れないとも思っています。
 
少なくても、教師が「息を合わせる」事を大事にした、集団を動かすための練習(研修)にはなるはずです。学級づくりのための教員研修に「レク指導」を取り入れた研修が有効と、密かに思っているのは、私だけかも知れませんが・・・。

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Posted by プラス at 00:09│Comments(0)・学級経営
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