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2007年04月04日

たかがゲーム・されどゲーム。ゲームの教育的な場面での効能

「幸せになる考え方を学ぶ」ところが学校です。

自分もしあわせになりたいなあ・・・と、誰しもが思っています。カラダが、そう思っています。
しかし、いろんな条件から、「のびよう」という思いの糸がどこか、暗い森の中に迷い込んでいる子どもがいます。
そんな子は、一見しただけでは、教室の中に自分が有りません。心はどこかを旅しています。私も、その集団に入っていないときは、カラダはそこに置いたとしても、疎外感を感じていたり、逆に、自分を孤立化させていたりしますから、理解できます。自分の心を乱されないような防衛の姿です。

 まずは、「空気と、時間を共有している」という、その気にさせる必要があります。それでなければ、こちらの指導も成り立ちません。いっょに時間を過ごしているから、一緒に喜怒哀楽を感じているから、互いに気持ちが通じたり、ガマンしたり、相手のことを思いやったりできるのです。

 基本は、「未見の我を一緒にさがす」だと思います。
 誰もが何らかのよさをもっています。この、自分もいいところがあるし、それをみんなも認めてくれているという状況をその子が感じる必要があります。そのような子立ちは、まず、自分を見てもらいたいばかりです。人のことどころでは有りません。
 例えば、腹が減っているのです。腹一杯というよりより、これ以上食べられないくらい食べなければ、おさまりません。また、食べられない日が来るかも知れない。今、必要以上に食べなければ、・・・そんな思いで過ごしています。「飢餓状態」なのです。大丈夫だ、毎日、食べられるから、安心だという思いをもつ。否、「体感する」ことができれば、それなりに落ち着きます。ひと言で言えば、こちらとの信頼関係が成立することです。
 その次に、それを学級のために、みんなのために使えるように仕掛けていきます。他人のために、自分を使い、喜んでもらえる体験をすることによって、周りとの関わりの中で生活していくことができます。そのとりくみのなかで、子どもたち一人ひとりに自己有用感を見いだせるようにしていくことができたらと、思います。

しかし、実際の生活の中では、大変です。
ドラマなら、結論があり、右に左にふったとしても、結論のところに行きます。
しかし、現実の教室は、ドラマでは有りません。言葉では、わかっていても、イメージ通りには、行きません。「今ここで」つねに、「二つの道が有る」のです。
 一瞬一瞬、どちらの道を選択すれば、願っている「幸せになるための考え方を学ぶ道」につながっていけるのかが、勝負です。子どもは3回までなら、許してくれますが、仏の道も3度までとはよくいったもので、何度も間違った選択の道をしたら、取り返しがつかなくなります。

それが、その子一人でなく、学級全体の子のコーディネートしていくのだから、なかなかのものです。


 そこで、これらの事は現実の世界では、大変ですが、疑似体験を先にさせると、少しはスムーズに運ぶように思っています。
 それが、「ゲーム」です。

相手を「見る」。「認められる」「順番を守る」「ルールで行動する。ガマンをする。」「協力し合い、達成感を味わう」等々、教室生活の中で、経験していってほしいことの疑似体験ができると思うのです。
 友だちと一緒に一つのゲームをするいごこちよさを感じることで、その集団に所属している、集団帰属の欲求がみたされることが、その子を落ち着かせていくと思っています。
 たかがゲーム、されどゲーム  

Posted by プラス at 00:09Comments(0)・その他、雑感